東北を移動中に僕が書いたプチレポートを紹介します。
北の大地に向けて、北上中で只今郡山。
外の空間線量0.8から1.1マイクロシーベルト。ホテルの部屋は0.1マイクロシーベルト。
郡山の人々は普通に暮らしています。
今日の交流会に集まった方のお話しよると、原発事故当時、自治体からなんの非難指示も無かったそうです。
現在郡山市が安全宣言を出した事もあり、自主非難すら人口流出による行政機能崩壊を防ぐ為、公では認められてないとのこと。 「逃げたい人は勝手に引っ越ししろ」らしい。
また視力低下、下痢、鼻血、とにかく眠たいなどの症状が皆さん出ています。
20代の女性はホールボディーカウンターの検査で背中からセシウム134、137の合計値が1100ベクレルを超えていたそうです。
郡山の皆さんは毎日放射能汚染の事を考えながら、本当に疲れた状況で日々暮らされていました。
これが福島の現実であり、原発事故の悲劇の一つです。
僕はマスク等をして十分気をつけながら北上します。
この状況から救う方法を遠方に住む私達も、時間がある時にもう一度考える必要があると実感しました。
飯舘→大槌町→六ヶ所村→大間に来てます。
飯舘村長谷川健一さん宅の雨どいは10マイクロ以上で測定不能に。明るい未来が見えない中、確実にみんなの為に出来ることをとにかくやっている姿に感服。35年間牛を飼っていた牛舎が空っぽなのは、あまりに悲しい。
岩手県大槌町ではおおつち漁協で、ホタテ養殖の重りとして使う、土嚢詰め作業ボランティアに参加。
漁師の皆さんは壮絶な体験と深い悲しみを乗り越え、優しく明るく前向きに作業されていました。「汚染された海産物の代わりにお金で保証してあげれば良い。」などと簡単には言えない。
津波でへドロが無くなり海がきれいになったそうです。
六ヶ所村は超立派な箱ものだらけで「金漬け」になっています。現在ストレステストの対象になり停止状態ですが、村議は早期の試験再開を要望しています。来年10月本格運転予定。
大間原発予定地では震災後工事がストップしていました。
土地を売らず「あさこハウス」を守り続ける小笠原あつこさんは、「核で自然を壊すのではなく、自然の恵みを生かした自給自足の暮らし」を、夢を持って実践されています。
また村八分になりながらも、信念を曲げることなく、反対を貫いて亡くなられた母あさこさんの「愛情と強さ」の一端を伝えて頂きました。
ちなみに東北道で線量の高い所は、窓を閉め切った時速100キロの車の中で約2マイクロシーベルト。郡山から白石まで(約85キロ)平均0.6マイクロくらい。走行中の車の中が放射線管理区域になります。
震災直後は最低でもこの数値の10倍以上だったと思われます。
このレポートは僕が体感し、皆さんが今住んでいる日本の話です。
今現在、数え切れない方が被爆し続けています。
すでに放射線による健康被害も出ています。
行政や電力会社は見殺しにしているのです。
こんな国おかしくないですか?
また私達は苦しんでいる人達に目を背けることなく、何をするか、しないか? 考えなければなりません。
あなたはこの世界で生きているのですから。